もしも「発達障害かも?」と思ったら?

さて、みなさんがいろいろ話を聞いて、「私はもしかしたら発達障害かも?」と思った場合。

果たしてあなたはすぐ医者に行って診てもらわねばならないのか?

というお話。

結論から先に言うと私個人の経験からの見解は正直

「そこまで慌てる必要はない」

と思います。

それでも医者に行った方がいい場合の話もあわせてしますが

まずはその理由を挙げていきます。

1、そもそも大人の診断が難しい

 

まず、発達障害、それも大人になってからの診断というのは非常に難しいものです。

遺伝的に発達障害を抱えている人は意外にたくさんいますが、後天的、つまり今までの人生でそれをフォローする才能を身につけてしまっている人もいますし、鬱症状や、怪我から脳の機能や判断力が低下して発達障害に似た症状になっている人もいます。

どうにも仕事がうまくいかなくて「自分は発達障害かもしれない」という妄想に取り憑かれている人も見たことがありますし、全然社会的成功していますが自覚ないけどこの人発達じゃないの?と思い人もやはりちらほら見かけます

こんな感じの話なので、「大人の発達障害」についての診断が下せる専門医は都会ならいざ知らず。さて、地方都市ともなると今でも大冒険するハメになると思います。研究が進んできたのもここ数十年の話ですから。何も考えずに詳しくないお医者さんに相談したところで与太話か妄想として片付けられてしまいます。

私の場合、発達障害が心療内科の分類とすら知らない状態から数件の医者を電話&たらい回しに合い、ようやくネットで調べたか紹介されたかでお医者さんに出会えました。

行く先々で「頭おかしい奴がなんか言ってる」って感じの対応で門前払い、

もしくは、「子供のADHDは扱ってますが大人のADHDはうちは無理。」とか、「ADHDは子供の病気」なんて言われたこともありました。

もはや宇宙人か幽霊に会った話をして回っているような状態で、もうそっちの方で病みそうでした。

あれから15年経って、今はネットで病院も検索できますから多少状況は進展してるとは思いますが、風邪や骨折みたいに診断できる代物ではないので、とにかくそこで時間と精神を浪費します。

で、私はその後、一ヶ月近く病院に通いながら心理テストや知能テストをなんやかんやとやって。

「どうやら子供の頃はADHDだったと思われる。」

って程度の診断です。

それくらい判断って難しい話なんですよね。

こんな診断もらったもんですから、私も未だに調子のいい時は

「厳密に言うと私ってADHDではないのでは?」

とふと思うことがあるくらいですw

まぁ、医学的基準は偉い人に任せるとして。

以前書いた通り、

私は「生活を送る上で、自分の個性が心理的、金銭的に実害を与えている」の人に向けて記事を書いてます。

まずはまぁ、この記事読んで、試してからでもいいんじゃないでしょうか?

2、薬をもらっても解決ではない

 

医者に行って薬をもらえば、真人間になって万事解決!

苦しい状況に追い込まれると、ついついそういう期待をしてしまいますし。当時は私もそんなことを考えていました。

ところがぎっちょん、よく考えてください。これは「障害」とすら言われるような話なんです。

手や足がないのと同じように脳に癖がついている状態です。

要するにある程度矯正はできても一生治りません。

でまぁ、薬を飲むと一時的にフツーになったりしますが、それだけ。

私は「リタリン」という薬をもらいましたが、効いてる感じがするのが3時間から6時間くらいでしょうか?(体調によって上下あり)

つまり、使い所をよほど考えないと、人生変えるほどの変化はありません・

いや、それで不安が解消されてよかったーって人はいるかと思いますし、私もそうでしたが。

毎度毎度飲んでいくと薬によっては耐性がついちゃうのか、効き目があるのかないのかわからなくなってきます。

もちろん、その日の体調によっては効き目があったりなかったりしますし、逆に薬を飲むことで気分が悪くなることもありました。

「薬がないと不安」という境地にいかなかったため、私は薬漬けにはならずに済みましたが。当時、お医者さんを誤魔化してリタリンを大量に集めて意識昏倒させて捕まった人がいました。おかげで入手する段取りがめんどくさくなったことを覚えています。

どうやら、より強い効き目を求めたか、薬の中に含む麻薬成分を求めたかしたようです。(お医者さんの話では麻薬に似た成分らしい)

一生治らないので、お薬に頼るのはお金だけでなく、こういうリスクと隣り合わせになってしまいます。

結局私は、薬に変わる「代用品」を見つけたので、いざという時はそれに頼るようにして、わざわざ薬をもらう為に病院に行かなくなりました。

「代用品」についてまた、まとめて記事にしたいと思います

それともう一つ、

これは私含め、薬を飲んだ人がよく言っている話ですが。

薬を飲むと、何かを無くした気がします。

これは発達障害者の「欠点」と思えるものが、実は自分の「特技」とか「利点」と直結していることに大きな関係があるようです。

例えば目の見えない人が、気がついたらすごく耳が良くなっていたりするのに似ていて、例えば私の場合、落ち着きがないという多動性は好奇心旺盛でいろんなことを「ひらめく」事ができる能力と直結しているようです。

が、薬を飲むとそれがなんだか「無くなった感じ」がします。なんだか感情の起伏もそんなに起きなくなってきます。

感覚的な話で申し訳ないですが、私はそれを「何かが欠けた感じ」と感じてしまいました。

エンジンストップしない代わりにハイパーモードにもならない。

感情が下りも上がりもしない

そんな感じです。

これはおそらく、発達障害で逆に何かの恩恵・・・・・ある種「異能」、「才能」と呼べるものを持っている人は特に感じると思います。

そんなこんなで、私は薬を医者からもらうことをあまり大事なこととは思わなくなりました。

代用できるものもあったので、それでいざという時はなんとかしていくとになります。

繰り返しになりますが「代用品」に関してはまた書かせてもらいます。

 

3、診断されても状況も変わらない

 

さて、めでたいかどうかは置いておいて、「あなたは発達障害です」という診断が下ったとして、果たしてどうなるのか?

これは、「普通の方」からすると理解できないそうですが、

正直私は嬉しかったです。

今まで字が汚いとか整理整頓ができないとか言われ、仕事でも馴染めず、努力しても成果が出ない。

発達障害と気づかずに大人になった人は、この点に関してずっと「自分の努力が足りないせいだ」と思っていて、ずっと自分を意識、無意識かかわらず責め続けています。

なので、これが発達障害のせいなんだ、と言われるのはある種「救い」なんです。

だから、「自分が発達障害であるか確かめたい」こう思うのも無理はないと思います。

そうか!私が今まで悪かったんじゃない!私がおかしいのは発達障害だからなんだ!

・・・・・ですが、よく考えてください。

世間的一般にはそれ

ポンコツの証明を医学的にされてしまった状態

なんです。

悲しいですが、理想論はさておき、現実的な話です。

はい、私はそうは思ってませんが、周りはそんな目でみてきます。

一定確率でケアレスミスする奴を会社がなんとかしなきゃいけない義務も義理もないわけで、よしんば解雇されないにしても、同じ給料払う理屈はありません。

「努力すればなんとかなるかもしれない」と言っていた事が「努力してもどうにもならない奴」ということに、それも医学的太鼓判までついてやってくるわけで。

表向きはどうあれ、利益と効率を求める社会において、そういう人たちに付き合う義理はあんまりありません。会社や社会にはそうするべき「義務」があるのかもしれませんが、直属のあなたの上司はそんな権限も、理解する余裕も、じゃぁどうするの?なんて知識はない事がほとんどです。

ついでに言うと、大半の人たちは発達障害がどういうものか知らない人たちがほとんどです。

カミングアウトする時、あなたは自分の発達障害がどういうものなのか説明しなければならないことになります。

私の話をすると。カミングアウトした結果帰ってきた反応は

「なんか小難しい言い訳考えてきた。」

でした。

「じゃぁ俺たちは怒らずに我慢しろっていうのか!」

と、怒り出した人もいました。

いや、今から考えたら無理もない、

そういうことになりますよね。

その後、なんやかんや理由をつけて辞めさせられたのは前述の通り。

次の仕事でも、数人にはカミングアウトしましたが、よくよく理解してもらえず。

私が「普通の人のフリ」を頑張ってやっていたせいか、数年経ったらそんな話されたこと自体すっかり忘れられていました。

ああ、こりゃ自分でなんとかするしかない。

と、なってしまったのも無理からぬ話だと思います。

当然、この点に関してはお医者さんは介在してませんし、お医者さんに相談されてもお医者さんも困るでしょう。

ですので、特に今普通に働いている人は特に、慌ててお医者さんにいっても、即解決しないことは頭に入れておきましょう。私のように調子に乗ってカミングアウトしたら、逆に自分の立場を不利にしてしまう事があります。

ただの鬱病の方が良かったなんて話もあるので、自分であれこれ試してみてから、もしくは平行して「今を生き抜く」工夫をするのも悪くはないと思います。

結局、自分が発達障害とわかったからと言っても、あなたがどうにかしないと、周りが何か変わるわけではありません。

せいぜい失敗が自分の特性によるものだという免罪符と、やらなくていい努力というものがあるということに気付かされるくらいだということは覚えておいた方がいいと思います。

むしろ、自分自身との戦いがこれから始まると考えてもいいので。

4、よく考えたら自分でなんとかなる話が多い

さて、上記の中にもちらちら書きましたが。

実の所、お医者さんに診てもらったところで苦労して得られるのは

1、医学的診断

2、お薬

こんなもんだということです。

ここから先の話は結局自分でなんとかしないといけなくなってきます。

これって考えてみれば、その二つがそんなに要らないなら、自分でなんとかできるんですよね。

先ほど書いた「しても無駄な努力がある」と気づくこと。

これは考えてみれば非常に大事なことで、

普通の人にはできない自分なりの生き方を示す大きな道標にもなります。

ある意味これは自分なりの「強み」と言ってもいいのです。

結論から言えば、

自身を「成長」させることより周辺の「環境」を整えることが至上命題になります。

私もこの考えに至り、色々自分で試すようになりました。

私のノウハウは後の章に譲るとして、ここでは一つ覚えて置いて欲しい事があります。

それは

欠点は何かの長所の裏側である

 

といことです。

一説によれば、ADHDは、「狩」を行っていた人々の遺伝子を色濃く残している人々と言われています。

緊急事態以外は脳は半分休憩状態でエネルギーを温存し、必要な時に必要な集中力を爆発的に得る。いろんなことに意識を向ける敏感な感覚と、変わったものを見つけた時、それを放置しない探究心。

これは野山で狩りをしたり、いつ外敵に襲われてもおかしくない環境では必要不可欠なものです。

これが、農耕や都市生活中心になっていくと。

「いつでも集中力が発揮できない注意散漫で飽きっぽい奴。」

と、なってしまっただけの話。

だから、正直「障害」というのも私はちょっと抵抗があります。

わかりにくいから使ってますが、私はこれを「個性」もしくは「異能」「才能」と考えています。

前述もしましたが、成功者の方々には明らかに発達障害と思われる変な癖を持った人が多数いますし。「なんかちょっと変な人」でなんの抵抗もなく社会生活を送っている人がほとんどです。

例えば私は部屋を散らかす代わりに興味を持ったことはとことん調べたり挑戦したりして、随分物知りになりましたし。こうやって、発達障害について色々と語れるようになりました。

うっかりミスを誤魔化したりするために、他の人に愛嬌を振りまく癖がついてしまったのかコミュニケーション能力は高い方ですし。アドリブで瞬発的にいろんなアイディアを出せるようになりました。

観察する力が高いのか、接客をするときは、非言語コミュケーションで相手の考えが普通の人より「先読み」できていたことが接客ではとても役に立ちました。

妻は視覚が鋭敏なのか集合体恐怖症で、レイアウトも柄よりはシンプルな黒を好んだりしますが、脳のイメージを絵に落とし込む能力は非常に高く。

「これくらいの絵誰にでも描ける」

と、私にはちょっと理解できないことを言っています。

あなたにも、「何か足らないもの」の引き換えに「何か得たもの」があると思います。

また「この方法で努力しても効果が出ない」ことや逆に「この環境ならうまくできる」

と思ったこともあると思います。(これを人は指して「マイペース」というのですが)

発達障害かも?とお悩みの方はこの辺りが、コンプレックスで自意識と自己肯定感が破壊され、あるいは薬漬けになって自分の本当の姿が見えなくなっている人がほとんどです。

これは別に鬱の人や、グレーゾーンの人も同じです

一度自分の得意、不得意をいちど整理して

1、足りないことはできるだけフォローしてもらうか、全力で逃げる。

2、得意なことは生かし、フォローしてくれる人にお返しをする。

という感覚でいると、万事うまくいきます。

まぁ、これが難しいわけですが。

よく、ADHDは「天才病」と呼ばれますが「天才」と「変な人」の境目は、やはり

「お金になるかどうか」

「人の役に立てるかどうか」

である、というのは私個人が発達障害の成功者と思わしき人々を見て悟ったことです。

本人に違いはなくて、結局自分の才能を生かせる環境なんですよね。

実戦するのは難しい話ではありますが、残念ながらお医者さんで教えてもらえる話でもありません。

また、最近はテクノロジーの発達で、字が汚いことはパソコンが使えれば誤魔化せるし、部屋が汚いのもロボット掃除機でなんとかなったりします。

こういったテクノロジーに惜しみなく投資することも、解決の一助になります。

この件もまた記事にしたいと思います。

 

例外、即、医者に行ったほうがいい場合もある。

 

さて、今までそんなに慌てて医者に行かなくてもいいよ、という話を書きましたが。

当然、すぐに行った方がいい場合もあります。

基本は、心、健康、お金に被害が及ぶ可能性がある場合。

自分が周囲に及ぼす「違和感」が、実害を及ぼす状況が決定的な場合ですね。

ざっと上げてみましょう

1、不安で仕方がない場合

これまでにざっと書いた内容を読んでも、不安。

とにかく自分が発達障害かどうかはっきりしたい、人生に絶望しか感じない。

そんな場合、発達障害でなくとも、鬱などの別の病気になってる可能性があります。

また、発達障害者の人はコンプレックスが自尊心を崩壊させてしまい鬱症状を併発している人が少なくありません。

特に鬱の場合、放置しておくと徐々に周りから不安な要素をかき集めて回るようになってしまい、それこそ人生棒に振ってしまいますので迷わず病院にいきましょう。

発達障害でないことが白黒つくのはどちらであろうと喜ばしいことですし、お薬の力を借りて元気になるのはなんら悪いことではないと思います。

なので、心が不安定であれば、まずはお近くの心療内科にいくことをお勧めします。

一時的にお薬で平静を手に入れて、環境を整えることをお勧めします。

ただし、前述した通り、発達障害かどうかの診断は時間がかかります。

出てきた診断が納得がいかないからと、いろんなお医者さんを回ってしまういわゆるドクターショッピング状態になってしまわないように、専門医をちゃんと探すか。

まずは不安を取り除くことに集中しましょう。

精神が不安定な状態は判断ミスや物忘れを誘発しやすく。

無理をすると人間関係や仕事上の立場、人生を失う恐れがあります。

2、自治体などから支援を受けたい場合

現在無職だとか、環境をよくすることの第一歩として、支援がどうしても欲しい場合。

最近は発達障害でも障害者手帳がもらえるようです。

何を隠そう私も問い合わせてみましたが。

公共交通機関はスルーできるし、障害者枠でよければ就職枠も案内してもらえます(収入は下がる)。

前述した通り、時間はかかりますが周囲の環境を変える一助になれば、これは「もらえるならもらっておこう」程度のお話と考えてもいいと思います。

この手のサービスは使ってナンボですし、あなたが社会的に「破滅しないこと」が第一とご自身で考えた方がいいと思います。

ただし、今日明日すぐに結論が出るわけではないので気長に考えましょう。私も聞いてみましたが自治体とか症状にもよると思いますが、手帳取得まではおおよそ半年くらいのお話。

また、前述した通り、特に職場などでカミングアウトすると、自身の立場を危うくする場合があるので充分注意してください。

ただ、逆にいうとこういう話は危機的状況に気づいた時には時間的に手遅れということもあるので、もしもの時のために、早めに診断をもらっておくのも悪い話ではないと思います。

 

いかがだったでしょうか?

ひとまず発達障害は障害と言いつつも、個性や才能に近いものがあるので、それをうまく応用すればなんとかなってしまいますし、なんとかしてる人も少なくありません。

私も、結局自分でなんとかすることに慣れてしまい、なんとなくお医者さんに頼らなくなりました。

また、途中で「環境を整えることが重要」と書きましたが、これは非常に容易ではないというお話は繰り返し申し上げておきたいと思います。

自身が変わるのは容易(この場合「我慢する」も含まれます)ですが、周辺を変えるのは容易なことではありません。根本的に理解してもらえないし、一時的になんとかなってもそれが永久ではありません。

私も前職では安定して仕事できる環境にいましたが年数が進むに従って、全くそれが通用しなくなりました。

社歴重ねて、会社には苦手なことをやらせようとするよう言われるようになりましたし、数年前にカミングアウトした上司はそのことをすっかり忘れていました。

お医者さんに行ったとしても、自治体から支援が受けられたとしても、その辺りは最終自分でコントロールせねばならなくなります。

私も道半ばというところですが、次回から少しづつノウハウを書いていきたいと思います。

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